anonymous たそかれ

「たそかれ」、誰そ彼?

黄昏を古くは「たそかれ」といい、江戸時代以降「たそがれ」になった。薄暗くなった夕方は人の顔が見分けにくく、「誰はあれは」という意味で「誰そ彼(たそかれ)」といったことから、「たそかれ(たそがれ)」は夕暮れ時をさす言葉になった。(語源由来辞典)夜明け時は「かはたれ時(彼は誰時)」。元々薄暗い朝方や夕方を区別しないで指していたが後に夕方を黄昏(誰そ彼)」になった。と、いうことだ。

美しい光景を撮ることはAIDMAの行動パターンに似ている。”美”という存在はattention、見つけたことがinterest、撮りたいというdesire、この瞬間をmemory、シャッターボタンを押すaction。いささか強引なこじつけだけど。

名前も知らない、偶然出会った光景、偶然?その光景に出会うために寄せることはある。海面から昇る太陽を見たいのなら日の出の方角と時刻、天気も調べる。人の顔は朝と夜では違う。でも、今まで知っているスタジオ、場所、素性の分かったモデルを撮るお膳立てされて出来た写真の逆をやりたくなった。と、いうよりも用意されなくても美しい光景はどこにでもあることの証明をしたかった。写真は目の前のもののコピーだからね。